婆推手帖〜ばばおしてちょう

母と叔母、時々姑+舅の推し活(親介護)記録。現在は叔母の認知症介護を中心に紹介しています。

【軽度認知障害】入院を機に認知機能低下が始まる

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叔母の言動に「あれ?」と感じ始めたのは2022年の5月頃になります。それから【認知症】と医師の診断がつくまで2年余りの時間を要しました。軽度認知障害から認知症初期と診断が出るまでの、約2年間の記録を残しておきたいと思います。

叔母の介護チームを結成した2021年

義叔父を看取り、ひとり暮らしを始めてすぐに小さなケガから大病に至った叔母。約3ヶ月の入院を経て無事退院するも、それ以降、不審な行動が目立つようになりました。これが軽度認知障害の始まりであると気づいたのは、実はかなり後の事でした。

子どものいない叔母夫婦は長年2人暮らし。しかし、2021年秋に義叔父が他界。叔母が一人暮らしになったのを機に、私は母と妹の3人で、別居の叔母の面倒をみることになりました。その時叔母は78歳。

当時私は週5日、9-5時のフルタイムパートの仕事をしていました。パートを続けながら、月に2回、叔母宅を訪問することになりました。

毎日の電話での安否確認は母の役目。そこで何か問題が発生した場合には、母は同居している妹に相談し、そして私へと繋ぐ、という介護チームを組みました。みんなで協力し、お互いの負担を減らそうと話し合った結果の策でした。

実は叔母、一癖も二癖もある性格で、なかなか一筋縄ではいかない人。在宅で義叔父の介護をしていた時から、色々トラブルがありました。「年を取ってからますますやりにくくなってきたな」というのが私たち家族の悩みでもありました。

それもあり、いよいよ一人になった叔母の面倒を見ることになった時、【誰か一人だけに大きな負担がかかることは避けよう】とこの介護チームが誕生したのでした。

小柄で体重も40キロほどしかなく、義叔父の自宅介護を1年ほど行った叔母は、義叔父の葬儀後、心身共に疲れ切っていました。78歳の叔母は、88歳の義叔父を24時間見守る【老老在宅介護】をしていました。

ひとり暮らしが始まった2021年12月

2021年の12月に義叔父の看取りをした叔母は、「悔いのない最期を迎えさせてあげられた」と、寂しいながらも納得した看取りを終え、自宅でのひとり暮らしをスタートさせました。

高齢の愛犬と共に支えあう生活が始まりましたが、義叔父が亡くなって3か月ほど経過したころ、叔母から庭仕事で肩を痛めたと連絡してきました。

そこそこ広い庭なので、年に2回程度、植木屋さんに剪定に来てもらっていたのですが、それ以外の雑草引きなどは自分でやっていました。しかし義叔父の介護に時間を取られていた間、雑草は生え放題。それが気になって仕方ないと言い、日に何時間も雑草引きをする叔母は肩や腰を痛めてしまいました。

「2月の寒い時期だし、暖かくなってからゆっくりやったら?」と私と母は何度も言うのですが、庭の雑草引きを一向に止めません。今思えば義叔父が居なくなった寂しさを、庭仕事に没頭することで、まぎらわしていたのかな?と思います。

しかし叔母は毎日のように「腰が痛い、肩が痛い」と母に電話してきます。「だから、痛くなるまでするからよ!」と説明しても頑なに止めません。毎日数時間、庭仕事を続けていました。そこで母は「そんなに痛いなら、雑草引きはシルバー人材にお願いしたら?」と提案。あまりに毎日毎日「痛い」と文句ばかり言って電話してくるので、いよいよ母もうんざりしていたのです。

「しばらく休んだら?と言っても止めない。なのに毎日毎日痛いと、そればかり電話してくる」と、長時間文句ばかり聞かさせれる母の方がノイローゼになりそうでした。

後に、いよいよ体の痛みに耐えられなくなった叔母は、母の提案した比較的安価でやってくれるシルバー人材センターに草引きを依頼することに。これ以上痛くなったら大変でしょう?と私、妹、母の3人から何度も叱られて、ようやくのことでした。

しかし、雑草引きに来てもらった後、庭を見て叔母は「お金を払ってるのに(年寄りは)仕事が遅い」(叔母より若い人が来ていたらしいが)、「雑草の引き方が雑、汚らしい」(私も翌週庭を見ましたが綺麗でしたよ?)、「抜かなくていい草木まで引き抜いてしまっている」(叔母の指示が明確でなかった様子)と、散々文句を言い続け「あの程度の仕事にお金を払うのは無駄!自分でやった方がマシ」と大憤慨。それ以降、シルバー人材には依頼しなくなりました。

結局また叔母は「お金がもったいない。やっぱりこれからも、自分で雑草を引かなくては!」とさらに躍起になり、また日に何時間も雑草引きに費やしていました。私達もいよいよ呆れ、勝手にさせていました。

ある日、また「肩が痛い、腕が上がらない。湿布を貼っても痛くて、料理もできない」と母に電話してきました。それが何日も続いたので、母は近くの整形外科でレントゲンを撮るよう勧めました。どうやらこれまで、近くの整骨院にしか行っていなかったようでした。(叔母は整骨院と整形外科の違いを理解していませんでした)

ようやく整形外科でレントゲンを撮ったものの異常なし。痛み止めと貼り薬をもらってきたので、しばらく雑草引きは止めるよう、再び叔母に伝えました。

しかし、草引きを止め、薬を飲んで湿布を貼っても、痛みは一向によくならないと言うので、私が叔母の家を訪ねると、肩をさすりながら「痛い。寝ていてもよくならない」とかなり辛そう。整形外科で診てもらってから2週間ほど経過していましたが、なかなか治らない。痛がる叔母をまた一人、家において帰る訳にも行かず「じゃあ、今から救急外来で診てもらえる所はないかを聞いてみるわ」と、管轄の消防署に電話し、診て貰える整形外科はないか?を聞いてみました。教えてもらった病院に電話すると、幸いにも「外科でよければ救急で診ます」と言ってくれたので、日曜の夕方でしたが、すぐに病院に向かいました。

すると連れて行った救急外来で、大変なことが判明!実は痛みの原因は、雑草引きで痛めた肩の痛みではなく、頸椎部分(首)に炎症が起こり、頸椎の骨の一部分が溶けていて、とても危険な状態であることがわかったのです。

症状を自覚できない、伝えられない

いろいろ追加の検査もしたいので、明日、入院の用意をしてもう一度来て欲しいということでした。本当にびっくりです。(この日は空きベッドがなかったのです)救急を受診して本当によかった。「まさか、そんな大事になっていたとは…」整形外科でも肩のレントゲンは撮っていたのですが、まさか肩ではなく、首の方に異常があったとは。たまたま肩の写真の端に映っていた頸椎部分の異常を、救急外来の先生が偶然にも見つけてくださったのです。本当に幸運でした。

その時の先生が言うには、「痛みだけではなく、高熱も出ていたのでは?首がかなり痛いのを我慢していた?」ということでした。

しかし叔母は「すっかり筋肉痛だと思っていた」「肩が痛いと思っていたが、首と言われたら、そんな気もする」と、呑気な調子でした。

しかし今、当時のことを思えば

① ひとつのことに必死になると、他のことに気づけなくなる

② 熱や痛みなどに対し、どれくらい痛いかが鈍くなる

③ 症状を他人に伝えることが上手くできない

などが考えられます。78歳の時点で既に後期高齢者ですから、年相応の老化や認知機能の衰えは出てきますが、それ以上に、自分で体の異常に気づき、自分で対応することが出来なくなっていました。

また「疲れているのに、痛みもあるのに雑草引きを止められない」という状態が長く続き、「いたければ止める」という的確な判断もできなくなっていました。先の整形外科医や家族に止められても止めない。微熱もあるのに自覚できない。どこが痛いかも解っていない。そんな状態からの重症化でした。

当時の記録を振り返ればこれこそが【軽度認知障害(MCI)】の始まりとする症状のひとつだったと思います。

傷病の原因は、庭仕事からの黄色ブドウ球菌の感染では?と。救急外来で点滴を受けていた叔母の手足を見ると、足には「しもやけ」が数か所出来ていて、手にはあかぎれのようなひび割れと切り傷がいくつもありました。

頑なに止めなかった庭仕事で負った傷を甘く見ていた叔母は、手袋もせずに2月の寒い中も、ずっと素手で雑草引きや植木の手入れをしていました。毎日3-4時間はしていたと思います。義叔父を看取り、疲れから回復できていない体のまま、雑草引きをやめようとしなかった叔母。これも軽度認知障害の始まりといえます。

「昔は自営で商売もしていて、しっかり者の叔母」という先入観があったので、母も私も妹もこの頃から、まさか叔母が軽度認知障害を起こし始めているとは微塵も考えていませんでした。

2022年3月から3ヶ月の入院

そこから叔母は2か月間、首を固定したままの入院を強いられました。2022年の3月のことです。最悪手術も必要になるかもしれない、と言われていましたが、幸いにも薬物療法が功を奏し、神経が集まる頸椎部の超難易度が高い手術を避けることが出来ました。

「姪御さんが早くに救急で連れてきてくれたおかげですよ」と主治医や担当看護師さんらも労ってくれました。

もう少し発見が遅れれば、頸椎の骨の炎症は広がり、神経にまで達していた可能性もあったと言われました。そうなればたちまち身体の麻痺なども起こり、最悪は寝たきりも考えられ、元気な生活には戻れなかった可能性もあったと。

頸椎の炎症は2か月で治まり、以降は経過観察で、となりましたが何分、2か月も首を固定したままの絶対安静が続いていたので、叔母は歩くこともままならない状態になっていました。「このままでは自宅に一人で帰せない」となり、入院していた病院から、リハビリ専門の病院に転院させました。そこで生活の機能訓練を約1か月間行い、ひとりで日常生活が送れるようになるまでの間、入院しました。トータルで3ヶ月の入院。今思えば、この間も、静かに軽度認知障害は進んでいたように思われます。

頚椎の骨が溶ける炎症であったために、首の骨を支えるためギプスで固定していました。それもあり、かなり不自由だったと思います。入院中、愛犬は我が家で預かりました。可愛い我が子(犬)と会えない生活を強いられた不憫な叔母の助けになればと、毎週末、私は叔母の指示通りに病院と自宅を行き来していました。当時、コロナウイルス感染防止対策から、叔母との面会は出来ませんでした。

しかしこの会えない、話せない期間に叔母は、さらに軽度認知障害の状態が進行していたように思います。

ギプスで首を固定した2ヶ月の入院では、本を読んだり、テレビを見たりも、なかなか出来ませんでした。

また、元々人付き合いが得意ではなかった叔母なので、大部屋に入ってはいましたが、人と話すことはあまり無かったのではないかなと。(コロナもありマスクが必須で、他人との会話も制限があったこともありました)義叔父の介護中も、趣味をしたり、テレビをみたりもなく、友達付き合いもほとんどないようでした。

これらが一番の【軽度認知障害へ加速】の原因になってしまってのではないかと思います。

退院後から軽度認知障害が進行する

ようやく退院できたのが、2022年の6月のことになります。しかしこの退院後から、しっかり者の叔母に不審な行動が目立つようになります。向かいに住む独身の娘さんとの不穏な付き合いの始まりもそのひとつです。Mさんとの最初の事件は、こちら

babaoshi.com

この退院以降、ひとつのことを気にしだすと、ずっと何日も何日もその話題だけを母に電話してくる事が、頻繁に起きるようになりました。

また、【記憶の思い違い】も度々起こすようになり、母の話では、子どもの頃の話も、叔母の都合の良いように作り替えられているとのことでした。

この時はまだ、年相応の物忘れかな?と思っていたのですが、後から振り返るとそれだけではないことが、日々つけていた介護日記から判明しました。

認知症は、実はその時点では確信しづらいことが多々あります。同居ではない場合は、特になかなか気づきにくいと思います。

そのため、日々の訪問時や電話でのやり取り、LINEのやり取りなどを記録し、介護の状態をノートに取っておくと、日々の事件が【点】となり、「軽度認知障害かも?」と気づくことに。そしてその【点】が次第に次々と繋がり始めます。それが【線】になった時、始めて【これは認知症なんだ】と確信するようになりました。

今回のこの2年後の2024年8月に、ようやく「認知症」の診断を受けることになりました。この2年間を振り返ると、これまでの日々の記録が、本当に大事だなと実感しました。