婆婆(ばば)推し〜同居しない親介護

3人の婆婆様たちの推し活(親介護)日記

管理人自己紹介(2024年更新)

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50代の主婦です。2人姉妹の姉になりますが、妹が病気で2022年に亡くなったため、母と子どものいない母の姉(叔母)を、実質私ひとりで面倒を見なければならなくなりました。

私には息子が2人いますが、長男が2023年4月から就職したので、子育ては高校生の次男ひとりのみになり、実務的には少し楽になりました。

介護が始まってからもしばらくフルタイムパートで働いていましたが、3軒の通い介護は私にとってかなりの身体的精神的負担となり始めたため、2023年3月に退職しました。叔母が施設入所してくれれば、週3程度のパートに出たいと考えていますが、現時点ではなかなかそれも難しく、通いで行うみまもり介護は、もうしばらく続きそうです。

通い介護をきっかけに介護離職しました

通い介護を始めた当初、私は週5日勤務の朝9時から夕方5時までのフルタイムパートに出ていました。

2人の息子が小さいときには、個人事業主として在宅の仕事をしていましたが、次男が保育園年長になったのを機に、再び外に出て働いていました。

しかし、母が一緒に暮らしていた妹が病気で2022年秋に他界し独居に。子どものいない叔母(母の姉)も2021年に義叔父を看取り、独居となりました。

後期高齢者である、母(78歳)と叔母(80歳)の通い介護を私ひとりでするには、やはり週5フルタイムパート勤務では、いよいよ体がもたなくて💦

母の住まいは家から北に片道1時間半(渋滞すると2時間)、叔母の住まいは南に1時間と、かなり離れた場所に住んでいます。

そんなこともあり、休みである土日に、早起きして家の事をしてから、今日は片道1時間の叔母宅、明日は片道1時間半の母宅へ、という日々を送っていると、体のあちこちに不調が現れ始めました。(子宮筋腫の巨大化と嗅覚障害と体のあちこちに湿疹が発生など)

1年ほど続けた結果、肉体的にも精神的にもいよいよ限界を感じ、6年勤めた役場での事務アルバイト(保健センター勤務)を一旦辞めることにしました。

夫の両親も健在で同世代。姑さんは母と同じ年で、パーキンソン病を持つ舅さん(82歳)の介護をしています。夫の両親は夫の弟夫婦が近くに住んでくれているので、今のところは不定期訪問で済んでいます。

今後もこの合計4人の【親】のみまもり介護をしていかなければなりません。なので当面の復職は難しいかな…と考えます。

本当は私自身、介護離職は一番避けたいと考えていました。まだ50代ですし、社会との繋がりを持っていたい。実は2人の息子を出産した際にも産休相当は休んだのですが、産院退院後、ほぼ即日復帰して自宅での仕事を再開。忙しかったこともあり、育児休暇は設けず、産後4か月から保育園に預けて仕事をしてきました。当時は技術職で働いていたこともありますが、仕事が好きだということも大きかったと思います。しかし、そんな【産休育休もなしで乗り切ってきた私】が、まさか介護離職するとは…と、自分でも思ってもみない状況になっています。

介護予防に関する部署で働いていました

離職前は介護予防事業に関する事業も行う部署で、事務補助パートとして5年間働いていました。(某保健センター勤務)

そのため「認知の手前」や「介護の手前」になる方々と接する機会も多く、その方々をサポートする専門職さんたち(保健師、社会福祉士、看護師)と一緒に働いていました。おかげで色々な事案やケース対応を身近で見聞きしていたこともあり、今も婆婆たちの介護に活かせる事が出来ているのではないかな?と思います。

若いママが初めての出産で悩んだり不安に思うことがあるように、介護についても初めての場合は、どれだけ年を重ねていようと、悩んだり不安に思うのが当たり前です。職場の窓口に相談に来られる家族の方に、同僚である保健師さんが親身に耳を傾け、話を聞き、相談に乗られていたのを後ろから見てきました。

「ひとりで、抱え込まないでくださいね」という言葉が忘れられません。

そして、私もついに【相談する側】になったんだなと思っています。叔母については、叔母の住む地域の【包括支援センター】を利用させていただき、入院した際には介護申請もさせていただきました。(結局その時は利用しませんでしたが)

これからも色々お世話になると思いますが、事が大きくなってから相談するのではなく、「これは今後、大変になりそうだな」と思った時点から、相談してみるのが良いかなと。早い段階からの相談などの利用で、適切なサポートを取りこぼしなく受けられるのではないか?と思います。

友達にも助けられています

小学校からの付き合いの親友がケアマネジャーをしています。彼女とは本当に長い付き合いで45年の付き合い(笑)彼女は看護学校の高校を卒業した後、看護師となり国立病院で働いていましたが、離島勤務を希望し、過疎地医療にも携わっていました。

その後大阪に戻り、病院勤務、老健施設勤務を経てケアマネジャーに。現在も訪問看護の第一線で働いています。

彼女には2年前の妹の緩和ケア時期に色々アドバイスをもらえて、本当に心強かったです。おかげで後悔のない看取りが出来たと感謝しています。それからも独居になった母を気遣って、今後の生活についても色々教えてくれて、大変頼りにしています。

彼女のお母さんは病気で数年前にお亡くなりになりましたが、お母さんも看護師で、私の祖父が入退院を繰り返していた当時には、たいへんお世話になりました。母子でお世話になり、本当にありがたい存在です。

こうして私にはいつでも相談できる心強い味方が周りにいるので、介護で悩んでも孤立することなく、本当にありがたいことだなと感謝しています。

今後の目標について

まずは、現在認知症が始まり手を焼いている叔母に、安心して暮らしてもらえるよう、住環境を整えてあげること。認知症になる前に叔母本人が希望していた「高級な介護付有料老人ホームに入る!」という希望を叶えてあげること、がひとつ目。

猫と暮らす母ですが、ぼちぼち猫のお看取りが近づいてきたので、猫のお看取りが済んだら、私の近くに引っ越ししたい!と言っているので、それを叶えて安心させてあげること、が2つ目。

そして姑さんについては、舅さんのパーキンソンや認知症が進行し、介護が難しくなってきた際には舅さんを施設に入れて、姑さんの負担を軽くしてあげること、が3つ目かな?と考えています。

母と叔母は小さな頃に父親を病気で亡くし、祖母に女手ひとつで育てられました。その金銭面では苦労してきたようです。なのでせめて老後くらいは、のんびり好きな時間を過ごせるようにしてあげたいと考えています。