婆推手帖〜ばばおしてちょう

母と叔母、時々姑+舅の推し活(親介護)記録。現在は叔母の認知症介護を中心に紹介しています。

【認知症】(1)伯母が他院でMRI検査を受けてきた

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2025年の8月、約1年間通院した脳神経外科医と口げんかになり、通院も服薬も止めてしまった伯母でしたが、日に日に進行する認知症の症状を自覚したのか、母に「貯金のことも全部忘れてしまうで!」と言われて初めて【これは大変だ!】となり、1人で脳神経外科に行くと言い出しました!

2024年8月、認知症と高齢者てんかんの診断が出る

先の病院は、かかりつけ医(内科)からの紹介で受診しました。当時、伯母の日常生活でいよいよ軽度認知障害では済まされない事案が増えたことから、伯母には内緒で、私が伯母のかかりつけ病院まで行き、伯母にMRI検査を受けるよう勧めて貰うよう、先生にお願いに行きました。伯母本人に「脳ドックを受けてみない?」「最近物忘れが増えてきたんじゃない?」とMRIの受診をさりげなく勧めるも、「私はボケてもないのになんでそんなもん受けなあかんのや!💢」と「脳」や「物忘れ」という言葉に過敏になっていた伯母。たぶん自覚が出てきていたのだと思います。

なので、先生からの勧めだけでの受診は難しいかも?と、同時期に私の母にもMRI検査を受診してもらい、「私もMRI受けたよ〜!大丈夫やった!」と話して貰い、伯母の受診意欲をさらにかき立ててる作戦を立てました。

結果、伯母の母への【妹にだけは負けたくない!】の強い対抗心が功を奏し、伯母の脳神経外科での受診に成功しました✨️(何故か昔から母を目の敵にしています)

かかりつけ医から紹介状を貰い、私も同行して伯母に脳神経外科を受診してもらった結果、MRI検査、認知機能検査、血液検査から、【認知症初期】だけではなく【高齢者てんかん】の診断もついたのでした。

高齢者てんかんの治療薬として抗てんかん薬が処方されたことから、「車の運転は禁止ですよ」と医師から言われるも、伯母は猛反発!「黙って乗れば解らんやろ!」と言い、結局、免許失効までの4ヶ月間、法的には免許証を取り上げることが出来なかったことから、車を乗り続けていました。

私と母は当時、伯母の車の運転について、かなり危険な【事故未遂事案】が何度か続いていたので、とにかく医師から降りるよう勧めて貰いたい一心で受診を希望していました。(降りてもらうまでの詳しい顛末はこちら↓)

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最終的には運転免許証が失効し、車を降りざるを得なくなりましたが、降りた今もずっと毎日のように【あの脳神経外科医のせいで私の人生を狂わされた】と呪いのように文句を言い続けています。

脳神経外科をずっと恨み続ける生活

診断後も車に乗り続けていた伯母ですが、2024年12月にいよいよ免許が失効し、乗れなくなった後は、さらに恨みが増大。何かにつけては脳神経外科医の文句を言う様になり、日常生活においても不穏の時間が次第に伸びていきました。

また認知症に対する伯母本人の認識も変わっていき、

【認知症らしき症状が出始めたから脳神経外科に行った】ことが、今では【脳神経外科に行ったせいで鬱になり私はぼけてきた】になっています。

そして、本当の記憶は次第に忘れて薄れていくことから、自分の都合の良い作話で装飾されていき、【妹とkiyoはあの医者とグルになって、私から車を取り上げた】に捏造されていきました…💦

とにかく2024年8月から、脳神経外科のかかりつけ医を恨み続けている伯母。車の運転を止めろと言われたことが最大の恨み。「私の人生を狂わされた」や「あの医者のせいで私は鬱になった」と、通院を止めた今でも誰彼に、毎回呪いのように話し続けています。

自分の日記代わりのノートにも、深夜に起きてきては何時間もかけて【あの医者のせいで私の人生を踏みにじられた…】と何ページにも書き綴られているのを見た時は、背筋がゾッとしました。(定期的に何度も同じようなページがあります)

1年通った主治医と大喧嘩し、服薬も通院も止める

車を降りた後も、文句を言い続ける伯母をなだめながら、脳神経外科に通院して服薬を続けていましたが、通院開始から1年になる頃の2025年の7月、私の息子が耳の手術をすることになり、伯母宅を訪問できない日が続いたことから(その間は訪看さんに見守りをお願いしていましたが)、さらに伯母の認知症が進行し「1人で何でも出来るのに、なんでこんな薬を飲まなあかんのや!」と言い出し始め、服薬しない宣言をして、抗てんかん薬を飲まなくなってしまいました。

(他の持病の薬は飲んでいましたが)

その後の脳神経外科の定期受診の際にも、先生からの助言をことごとく否定して反論。最後には「ああ、解りました。お話だけは聞いときます!」と悪態をつき、ついに先生に「私の診察が気に入らなければ、いつでも他院に紹介状書きますよ?」と、事実上さじを投げられてしまい、「あんな偉そうに言われるくらいなら、もう行かない!!」と、伯母はその日を最後に、通院も止めてしまいました💦

抗てんかん薬を止めて以降、伯母の暴走ぶりは一段と顕著になったことから、「ああ。昨年から1年飲んでいた抗てんかん薬はめちゃくちゃ効いていたんだなぁ…!」と実感しました😰

薬を飲んでいるその時には、あまりその効き目を感じなかったのですが(伯母の暴走ぶりは抑制されてないのでは?としか感じていなかった)服薬を止めた途端、伯母は常に興奮状態で日常生活を送り、思いつきですぐ様、夜遅くから買い物や外出をする事が増え、電話でも人の話を全く聞けなくなってしまいました。しかし、だからといって無理やり服薬させることは出来ません。訪看、ケアマネの意見を伺った上で(現在伯母は要支援1)、本人が服薬再開を希望するまでは、無理強いはやめようという事にしました。

犬の看病疲れから記憶障害が顕著に出始める

しかし2026年、2月末に愛犬に大病が見つかり、突然愛犬の終末介護をすることになった伯母。伯母1人でのお世話は大変だろうと手伝いに行くも、「車がないからこんな大変な目に遭っている!」や「免許の要らない原付バイクを買う!」や「車の免許をもう一度取りに教習所に行く!」とまで言い出し、ずっと四六時中、車がないことについての文句を私に言い続けていました。

反論せず(しても仕方ないので)辟易しながらも相槌を打っていましたが、いよいよ我慢も限界が近づき、私が「今更言ってもどうしようも出来ないやん?!」と言うと伯母は、「お前に私の気持ちなんか解らない!!」と、おいおいと泣き出す始末…💦(涙は出ていませんでしたが)

黙っている私に対し伯母は「車が私の人生やった!ほんまやったら90歳まで乗れたのに!」と、まだしつこく言い続けるので、いよいよ私も我慢出来ず「車の運転中にてんかんの発作が起きたら、おばちゃんも、周りの人も◯ぬねんで!」と言うも

「◯んでもかまへん!車に乗れんよりマシや!」

とまで言う伯母💢

あまりの自分勝手な言い分に、【認知症だとは解っているし、仕方ないことと理解はしている】のですが、沸々と心の中が煮えたぎった私はついに我慢できなくなり、

「解かった!もうこの話は終わりや!いくら話しても平行線やから、私はもう帰る!」

と、私は伯母を介護してきて4年目にして初めて、目の前でキレて、立て替えた買い物代を早々に精算し、伯母宅を後にしました。

確かに年老いた認知症の伯母1人では、小型犬いえども、終末介護のお世話は大変です。(犬の介護のお話は別記事でしたいと思いますが)

しかし、週2回、朝7時前に自宅を出て叔母宅に向かい、犬を動物病院にわざわざ連れて行くも【来てくれたらタクシー代が浮く】と言わんばかりの口ぶりや、私が片道1時間(朝の渋滞に巻き込まれたら1時間以上)かけて来ていることについても「ごめんごめん」と言いながらも、交通費さえこちらから言わないと出してくれませんし、「来てくれた日当の変わりに」と、自分の食べかけの「不味いわ」と言ったお菓子を、私の子どもらに「あげるわ、食べて」と言い、ホッチキスで口を止めたもの渡してくるし、冷凍庫から霜だらけの値引きシールを貼った変食した肉や冷凍食品を出してきて持たせて済ませようとする態度に、いよいよ不満も噴出してしまいました…。

冷凍庫内には、ふるさと納税で届いた海鮮品や肉が大量に鎮座しているのに、あえて奥の方から霜だらけの変食した肉を出してくるのですから…。

(食べきれない返礼品が大量にあっても、食べられなくなったものしかあげる気はない)

私が怒って帰宅してから2日間は、私にも母にも電話がありませんでした。「kiyoを怒らせてしまった」という自覚はあったようです。

しかし、犬の看病疲れは蓄積していき、犬に何を与えてもいいのかも理解出来きなくなり、毎食ごとに「何を食べさせたらいいんや!」と電話して来るように💦お世話のストレスから、ついには夜間不穏も出てき始め、3日目には母に電話してきた際に

「病院の書類を見ても、自分の書いたノートを見ても、書いてる意味が理解出来ない」とまで言い出しました。私が怒って帰宅したことも知っている母は、伯母に

「そんな状態じゃ、自分の貯金のことも全部忘れてしまうで、姉ちゃん!」と言い、「タクシーで前の病院に行って(脳神経外科)、ケンカした先生に謝って、もう一度薬を貰って来い!」と説得しました。すると伯母は一番大事な【お金のことを忘れてしまっては一大事だ!】となった様で「解った!今から行ってくるわ!」と母との電話を切ったのでした。

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