2024年8月に認知症初期と高齢者てんかんの診断が付き、医師から「車の運転は禁止」と言われるも「私は認知症じゃない、発作も起こしたことがない!だから失効までは乗る!」と言い張る叔母。警察に相談するも、免許停止や失効は無理と言われ、返納してもらう為に別の方法を探すことにしました。
友達に認知症のことは言えない叔母
叔母が頑なに免許返納を拒む理由の一つには、【友達の存在】がありました。義叔父が亡くなるまでは、ほとんど友達付き合いをして来ず、友達と言えるような人はいなかった叔母。少し前までは、食事や遊びに行く友達が1人いたのですが、その方はコロナに罹患され持病が悪化し、お亡くなりになったと聞いています。義叔父を看取り、1人になった叔母に「カラオケに行き!体操に行き!」と勧めたのは母でした。「福祉センターでカラオケやってるみたいよ!」と私が広報誌の記事を叔母に見せ、見学に行くように勧めたのがきっかけで、福祉センターのカラオケと体操に行くようになり、そこから【後期高齢者友達】が出来たようです。
それまで叔母は「あんな年寄りばかりのサークルなんか、行く気がしない!どうせ年寄りなんかと話しても話が合わない」「私はまだ、あんなとこに行く年齢じゃない」と、鼻っから邪険にしていました。(自分も後期高齢者なのに💦)
しかし見学の際に皆さんが快く迎えてくださった様で、今では皆さんとも仲良くなり、楽しく通っています。
その友達たちには、プライドの高い叔母のことですから「私、認知症と言われてん」など絶対に言う訳がありません。しかも、どうもお友達たちは福祉センターまで徒歩で来たり、家族に送ってもらわなければ来れない人たちばかりの様で(後期高齢者なのですから当たり前のことなのですが)皆から「えー!◯◯さん(叔母)まだ車に乗ってるの!凄い!」や「いいなー!どこで好きな時に自分で行けて!」と言われ羨ましがられているそうで、皆から褒められることで叔母は【私は皆とは違う。車にも乗れて悠々自適な人】との思いを一層強く持っているようでした。
この頃から今までに増して街ゆく高齢者の姿を見る度に「私はあんな年寄りとは違う」と言ったり、亡くなった叔父や姑の話になった際にも「私はあんなぼけてない。あんな痴呆は出てない」と(叔母の年代では認知症→ぼけや痴呆症という名称の方が長く使われてきた)言い、【自分は人とは違う】の思いがより強くなっていましたので、到底、友達には知られたくない、の思いが強かったと思われます。
友達に病気を隠し「車を降りる」と言うも…
しかし、8月に医師から「高齢者てんかんです」と言われた事は、どうも叔母としてはかなり印象深く残っていた様で(認知症と言われた事はすぐに忘れたにも関わらず)、友達には【病気と言うことは隠して】「姪にもう車に乗るなと言われている」や「姪に免許の更新は諦めるよう言われた」と話した様です。
さー、それが大変なことに💦事情を知らない友達たちは【叔母に車を降りられたら自分が遊びに行けなくなる!!】となったのでしょう。
カラオケ友達たちの「えー!なんで免許更新しないの!?まだまだ元気やのに!」や「車も買ってまだ半年やろ?それやのに何で!」の攻撃にあったと思われます。叔母は「会う度に友達に新車に1年しか乗らないのは勿体ないと言われた!」や「まだまだ元気なのに何で免許更新せんの?と言われた」と母にしょっちゅう電話してくるようになりました。(私に話せば一喝されるのが解っているので隠していました)
今の車を購入する事になった経緯もそうなのですが、母に何度も何度も電話してくるのは、叔母の【不穏】の状態で、【自分ひとりで処理できない出来事や気持ち】に遭遇すると、母に連日連夜ひっきりなしに電話してくるようになりました。
その度に母も根気よく説得してくれるのですが、叔母は母に【相談】と称して電話をしてきますが大抵【母の言うことは聞き入れない】のです…💦(これが毎回かなり厄介)
「友達みんなが、何でもう乗らないの〜と言うんや!」と叔母が言うので、母が「医者からあかんと言われてん、と言え💢」と言っても、「そんなん、言えるわけ無いやん〜カッコ悪い!」と言います。「友達を乗せて事故を起こして、ケガをさせても保険は使えないと言われてるやろ!」と母が叱っても「友達は乗せてないわ!いつも1人や!」と。
しかし、これも嘘。私が叔母の車と、車の鍵に付けたキーファインダーでは、月に数回、隣市のショッピングモールやレストランへ、ランチや買い物、公園等に遊びに行っているのが確認できていました。(叔母はキーファインダーで、私が位置情報を見ていることは気づいていません)母に話す「今日は友達と◯◯市にランチに行ってきた」の日が、私がキーファインダーで車の位置情報を取得した日時と合うのです。
叔母は友達を乗せたことを私や母に隠しているつもりですが、母から聞いた話と照合すると【叔母が皆を乗せて、あちこちに出かけていることは間違いない】のです。(何かの時のためにスクショも残しています)
それもありますから、叔母が病気だと知らない高齢者の友達たちは【叔母に車を降りられたら、こんなに頻繁にあちこち行けなくなる】と思ったんでしょう。あちこちの大型ショッピングモールに行ったり、人気のカフェやレストランに、月に2-3回は出かけていました。
後期高齢者になれば、徒歩と電車で遠方にわざわざ出かけるのもかなり億劫になりますから、家まで迎えに来てくれて、帰りも家まで送ってくれる叔母の存在は、貴重だったと思われます。(しかも叔母は、皆からガソリン代も駐車場代も貰っていなかった事が後から解りました)
なので友達たちは必死に叔母に【車に乗り続けるように】話し、【新車も1年しか乗らないのは勿体ない】と言い続けていたようです。
やっぱり免許は更新する!と言い2回目を予約
ついに恐ろしい事が起こりました。8月に脳神経外科で医師に運転禁止と言われ、渋々9月の運転免許の更新講習の予約を取り消した叔母でしたが、その取り消しをした2週間後に「やっぱりもう1回、免許は更新する!!」と言い出したのです!
母から私へ早朝に電話があり「姉ちゃんがまた免許を取ると言い出した!!」と。
母の話では「友達みんなが取れ取れ言うし、発作も起こってないし、車も3年乗るつもりで買ってんから、やっぱりもう一回更新して、後2年は乗るから!もう決めた!更新講習も予約した!」と言ってきた、と言うのです。
私は慌てて叔母の最寄りの自動車教習所(前回の予約を取り消したと言っていたところ)に、(叔母に内緒で)電話してみると、10月に再び更新講習を予約していることが確認できました。えー!!
叔母は母に「あの子(私)には絶対に言わんといて!講習で落ちたら(高齢者の認知機能検査に)諦めるし。通ってから私から話すから!」と言ったそうです。(要は私に内緒でこっそり受けてくると言うこと)
この頃、私と叔母の関係性もこの【運転免許問題】からギクシャクしはじめ、叔母の私に対する【介入拒否】がより強くなっていました。
高熱が出ても私には電話して来ず、1人で車を運転して病院に行ったり、膝が痛いとかかりつけの整形外科には行かず、いきなり中核病院の整形外科に飛び込み受診し、予約がない、紹介状がない、選定療養費がいる、薬が重複処方されていた、などトラブルを起こしていました。(その度に病院や薬局に走っていました)
これ以上介入拒否が酷くなると、脳神経外科の受診さえ拒むようになってしまうのでは…の恐れから、叔母が母に言ったように【私は更新講習を申し込んだこと(2回目)は知らない】に合わせることにしました。
やれやれ(涙)ついに【免許を返納させたい】問題が、【免許を更新させられない】問題にまで発展してしまいました。この2年の説得も、叔母が認知症となり、ここまでこじれてしまうとは本当に想定外のことでした(涙)
普通の人なら、医師から車の運転を止められた時点ですぐに止めるはずです。家族にも何年前から止められて来たのですから。
しかし叔母にはもう、その【常識的な理解力】が既になくなっているのです。車に乗り続け、人も乗せ続け、ついには再び運転免許を更新すると言い出したのです。
この時点で叔母はもう【認知症初期】ではなく【認知症中期】に入ってきているな…と確信しました。