免許が失効してから1週間後に「やっぱり免許は更新する!」と言い出した叔母。「お前らはグルになって私から運転免許を取り上げようとしてる!」と言い出し 【やっぱり車がないと生きていけない】と免許がなくなって初めて現実に対面した叔母は、なんと年末に、教習所に4回目の更新講習を予約してしまいました💦
車を降りる準備を何もしてこなかった叔母
免許が失効して1週間。2024年の年末にようやく【免許がなくなるということは、こういうことだったのか!】ということを身を持って知った叔母。寒さ厳しい12月、自転車を漕ぐにも歩くにも、かなりしんどかったのでしょう。今まで全く何も運動せずに暮らしてきて、近くのコンビニやスーパーにも、全て車で行く【全く歩かない生活】をしてきた叔母です。(傘もほとんど使わない生活)
免許証の失効がやってくることは、数ヶ月前から解っていることですが(高齢者の更新講習の案内は半年前に届きますから)、叔母は【更新するかしないか】にこだわり続け、【更新しないとどうなるか】は全く考えて来なかったのでしょう。母や私は「車に乗れなくなると言うことは、こういうことだよ」という話を何度も何度してきましたが、その度に叔母は「言われなくても解ってる💢」と反論し続けてきましたが、実際は何も考えていなかった(認知症で考えることが出来なかった)と思います。
車を降りて初めて、自分の体力の無さを実感し「これでは暮らしていけない!」となった叔母は、再び免許を更新すると言い出し、教習所に年明けの更新講習を予約してしまいました💦
そのことを私と母にとがめられると、逆上し「私のことはもう放っておいてくれ!」と言い、1人きりの寂しいお正月を過ごしました。
クリスマスの前日には「明日はカラオケ仲間とクリスマス会やるから行ってくるわ!」と楽しそうに言っていた叔母でしたが、その時カラオケ仲間に【1年しか乗ってない車を売るのはもったいない】と吹き込まれ、ずっと私や母、医師にも言われてきた【何故乗ってはいけないのか】も忘れてしまい、その翌日には免許の更新に必要な住民票を役場まで取りに行っていました。
叔母は昔から【車は永遠に乗り続けられる】という思い込みが多々見られました。義叔父を施設から半ば強引に連れて帰り、終末期を在宅介護をしていた時、既に叔母も78歳になっていましたが、駅から離れた自宅ということもあり、叔父の通院も大変だからと、強く「車を降りろ」と母も妹も私も言えないでいました。
しかし、義叔父が亡くなったのを機に「今の車の車検が切れた時には、車を降りるように練習してね」とずっと言い続けてきました。
でも叔母は聞く耳を一切持たず、車を降りるなんて、ずっとずっとまだまだ先の話だ!と一笑してきました。なので、私は「無料だから地域のコミュニティバスを利用してみては?」と折を見て何度も話して、チラシや時刻表も渡していましたが、全く関心なしの知らんぷり。
「あんなものは、足のない年寄り(交通手段をもたない)が乗るものだ!」と言い、結局叔母は何十年もこの土地に暮らしていますが、今まで一度もコミュニティバスに乗ったことはありません。
なので今はもうコミュニティバスには【乗れない状態になってしまった】(認知症になり新しいことはもう覚えられない)と思います。
今振り返れば、叔母はかなり早くからMCIの状態にあり【車を降りる】という心づもりも実際の準備も、もう出来なくなっていたんだろうなと思いました…。
正月明けに来たLINE、その一言にびっくり!
年末、私と母に「もう放っておいてくれ!」と言ってきた叔母ですが、やはり1人きりで過ごす正月はかなり寂しかったんだと思います。
普段、叔母の遺産狙いで連絡してくる叔父やその息子や娘も、正月は全く音沙汰なかったみたいです😅
正月明けに、1週間ぶりに母に電話してきた叔母。なんと叔母が言うには
「何で◯◯(私)から何の連絡もないんやろ?」と。
えーーー!
覚えてないんですか?
冗談ですか?(笑)
母もあまりにもびっくりして、腰を抜かしそうになったそうです😅(脊柱間狭窄症なのに、危ない危ない)
叔母の短期記憶がだいたい1週間くらいしか保たないことは解っていましたが、こんなに大ごとになって大興奮で大揉めしたのに、それも忘れたとは!!
私に【お前らがグルになって裏で手を回して、そんな風に私を陥れようとしている。お前の考えてることは解った。やり方が汚い】とLINEて返信してきたこと、それも覚えてませんか?!(笑)
母は、叔母が私にどんな内容のLINEをしてきたかは知っていましたが、それを知ってるかのように言うと「お前らまたグルになって!」と言うだろうと、わざと知らないフリをして「姉ちゃん、◯◯を怒らせるようなこと言ったの?」と聞くと「さあ?解らへん…。7日の病院には付いてきてくれるんかな?」と、とぼけてるのか、本当に忘れたのかが判別しづらい状態でした。「また車乗るとか言い出したんか?」とカマをかけると「乗りたいとは言うたよ、10日に講習も行くし」と全く悪びれる事なく言う叔母でした。母はその日はこれ以降、車の話には触れずに電話を切りました。
そして、7日の脳神経外科の診察予約の前日、叔母から私に連絡(LINEメッセージ)がありました。
「明日病院に一緒に行ってくれるんか?」と。
(何事も無かったかのように、しれーっと来ました💦)
そして、「スキムミルク無くなったから(Amazonで)頼んで」やら、「腕時計(スマートウォッチ)の時間が合わないから見て」やら、次々用事の頼み事を送ってきた叔母。
めっちゃ普通に連絡してきてるやん💢
「もう私のことは放っておいてくれ!」と言ってきたのは誰ですか!!私と母が年末年始にどれだけ落ち込み、モヤモヤして、これからどうしたらいいんだろうか、放置していて本当にいいんだろうかと、罪悪感にさいなまれながら、2人でどんなに悩んで胸を痛めたか…
(それも全て無駄ですか?!)
【認知症のせいだ】とは解っていますが、あまりの無神経さと自分勝手さに、年明け早々めちゃくちゃ腹が立ち、
「7日の10時に迎えに行きます」
だけを返信して、後は一切スルーしました。(これくらいのささやかな抵抗は許して…と)
年明けの受診時に再び運転を禁止される
そうして私は7日の朝に叔母宅を訪問。年末に揉めて以降、初めて叔母と顔を合わせて話をしました。
この日は、脳神経外科で2回目のMMSEの検査(認知症の)を予約していて、受診だけはどうしても飛ばしたくなかったので(叔母は運転を禁止と言ったこの病院が大嫌い)病院にだけ付添い、終わったらすぐに帰る予定にしていました。
病院に向かう車の中で、叔母は私に「私、年末になんかおかしなこと言って、あんたを怒らせてしまったんかもしれんけど、私はあんたを身内やからと思って好きなこと言わせて貰ってるねん」と言いました。
…またまた勝手な持論を展開。身内やから我慢してや!みたいなわがままを、いつも無理やり通そうとします。
(都合の良い時だけ私を【身内】というのにも腹立たしさがありましたが)自分が何を言ったのか覚えてないならないで、それを認め、自分が何をどんな風に言ったのかを尋ねればいいのに、叔母は自分の非を認めたくないがため、絶対に自分から折れることはしません。
多分この性格が原因で【本音を言い合える友達がいない】し、【周囲に認知症とは気づかれないまま長く来た】のだと思います💦
私は運転しながら、うんともすんとも言わず、黙って聞くだけにしていました。
そして病院で8月の初診時から2回目のMMSEの検査を受けました。点数は前回とほぼ同じで、投薬の効果もあってか、なんとか認知症初期を維持出来ているでしょうとの事でした。
それを聞いた叔母は先生に
「え?初期って?私が認知症やということですか?」と、これもまたいつもの様に先生に尋ねていました。「でもまだ初期で保たれてますよ」と先生に笑顔で言われても
「え…認知症?私が?えー…」
と驚いた表情でした💦
(これも毎回お約束なんですがね)
また先生から「他に困ったことはないですか?」と尋ねられたので、私は「また運転免許の更新に行くと、教習所に予約したそうです」と、私もいよいよ開き直って、叔母のいる横で先生に堂々と告げ口をしました(笑)
すると先生は優しい口調で「もう運転はだめですよ、禁止ですよ」と言いました。叔母は「あきませんか…そうですか…」とこれまたいつもの先生からの言葉を初めて聞いたような表情をしていました。
病院からの帰りの車の中で、叔母は運転禁止の話を先生から再び言われて、怒ってはいましたが【運転免許は更新してはいけない】という事を思い出したかのようでした。(しかしMMSEの試験が2回目だということはすっかり忘れていて、初めて受けたかのように言っていました)
「車はもう、乗ったらあかんということやな」と何度も何度もひとりごとのようにつぶやき、助手席で大きなため息をついていました。
「発作なんか起きたこともないのに(多分2回ほどある)」やら「今まで車で事故なんかしたことないのに(多分ぶつけたり、相手が逃げたような事故は何回かある)」とまたいつものごとく文句を言い続けていましたが、私はひたすら黙って聞き、何も言わずに叔母を自宅に送りました。そして叔母の話を聞くだけに徹して、頼まれたスマートウォッチの時間合わせだけをして、食事も断り、帰宅しました。
帰り際に叔母は
「教習所に(更新講習を)申し込んでるけど、キャンセルした方がええんよな?」と私に聞いてきましたが、私は「それは叔母ちゃんが判断することや」とだけ言い、叔母宅を後にしました。
翌日、4回目の予約を取消していた
帰宅した後、私は夜に母に電話し、今日の病院同行での様子を報告。すると夕方に母へ叔母から電話があり、「もう免許更新はあきらめる」と言ってきたわ、とのことでした。
年末年始を1人で過ごしたことが、かなりこたえたのでしょうか?年明けに母に免許をまだ取るんか!と言われた事で【姪が来ないのは、自分が免許をまた取ると言ったから】と、理解できたのでしょうか?
年末に大興奮で「失効したけど、やっぱりまた取る!」と言ってきた時のような勢いは、もうなくなってたな…ということでした。
脳神経外科の先生から「運転は禁止」とまた言われたことや、MMSEの検査を受けたこと(2回目でしたがそれも忘れて、まるで初めて検査を受けたかのような口ぶりで)を言っていたとの事でした。
「姉ちゃん、教習所はキャンセルしなあかんのか?と言ってたわ」と母が言っていました。
私は翌日の夕方、再び(毎度毎度ですが)教習所に問い合わせてみると「今朝、ご本人からの連絡でキャンセルされていますね😊」ともう馴染みになってしまった受付係のMさんが教えてくださいました。
3回目の予約する!は結局未遂に終わっていましたが、今回の4回目の予約(実質予約としては3回目)も、無事本人の意志で取り消されていて、安心することが出来ました。
どうやら私が今回、全く何も言わずに、病院だけ同行してすぐに帰宅したことが、かなりこたえた様でした。それが自分が免許を更新すると言ったからだと繋がったのでしょう。
本当に長い長い年末年始でした…💦
(おかげで今年のお正月のおせちや、お雑煮を食べた楽しい思い出が全然残っていません…😱)