婆婆(ばば)推し〜同居しない親介護

3人の婆婆様たちの推し活(親介護)日記

【高齢者トラブル】ひとりで白内障手術を受けてきた

独居になって1年が経過した頃に、私や母が「決めるのはもう少し待って」と言ったにも関わらず「もう待てない。ひとりで大丈夫だから!行ってくる」と、叔母はひとりで白内障の手術を受けてきました。認知症の診断がついた時に初めて【あれは軽度認知障害だったのか】と思うようになりました。家族の言う事を聞き入れられなくなり、勝手に受けてきた白内障手術で、受診トラブルが起こりました。

軽度認知障害の始まり〜家族の助言を聞き入れない

ひとり暮らしを始めて1年になる頃。叔母は「目が見えない」と頻繁に言うようになりました。79歳の誕生日を迎えた頃でした。叔母は視力がいいまま来ていたので、母や姑はすでに白内障の手術を70代前半で受けていましたが、叔母はまだしていませんでした。

「姉ちゃんもそろそろ白内障の手術をしないと行けないかもね」と母に言われ、カラオケ仲間に聞いた、自宅近くの【評判の良いという眼科】にひとりで行きました。

検査の結果、【今すぐ手術した方がいいというまでは悪くはない】ということでした。病院では「手術をするなら、保険適用のレンズにするか、または保険適用外のレンズにするか決めておいてください」と、説明があったそうです。

毎晩のように「目が見えない話」と「手術はいました方がいいか、先がいいか」、「どっちのレンズにしたらいいか」を母に電話してきた叔母ですが、その頃、母と同居していた私の妹が余命宣告を受け、在宅での終末看護が始まり、訪問診療を受けるようになっていました。

正直、今すぐは必要ない叔母の白内障の手術の話を、毎日悠長に聞いているような状態ではありませんでした。(私も実家にずっと通っていましたので)

「妹が少し落ち着くまで、白内障の手術は待って。落ち着いたら一緒に病院に行って話を聞くから」と言っても、毎日のように叔母から「どうしたらいい」や「どっちのレンズにしたらいい?」とLINEが大量に入るような状態でした。

この時すでに【状況を察する】ような判断力がなくなっていたと思われます。話の始めには「大丈夫か?」でしたが、すぐに自分の白内障手術の話を一方的に続けるような状態でした。

妹の葬儀後すぐに手術を受けてきた叔母

結局、妹は余命3ヶ月と言われながらも、3週間で亡くなってしまいました。様体が急変し、突然のお別れとなってしまい、私も母もお通夜や葬儀の段取りにバタバタで、叔母の相手どころではなく、遠方から来てくれた際にも話を聞く暇もありませんでした。葬儀が終わった後、私と母は、しばらくの間落ち込んでいました。日常生活に戻るにも、少し時間がかかりました。

しかし、葬儀から帰った叔母はどうやらそれが面白くなかったようで、なかなか電話に出られない母に苛立ったのか、「もう少し待って」という忠告も聞かず、葬儀から2週間後に手術の予約を取り、ひとりで受けて来てしまいました。

特に母は妹とふたり暮らしだったこともあり、突然の妹の他界に呆然としていました。77歳になって【生まれて初めてのひとり暮らし】がいきなり始まってしまい、途方に暮れるような状態になっていました。母のそんな状況を思いやれない叔母は「私もひとり暮らしや!お前も出来るわ、心配ない!」と言い、後は自分の手術のことばかりを話していたそうで、

「今は片方しかしないから、ひとりで手術してきます!」と。そしてレンズについては

「先生が勧めてくれた保険適用外の30万円のレンズを入れる」とのことでした。

妹が余命宣告を受けた後、その期間よりもずっと早くに突然亡くなってしまい、母と私と2人で手配して出したお葬式でした。妹の親友たちがたくさんの方に連絡してくださったおかげで、お別れには遠方からも(北は宮城から、南は長崎まで)本当にたくさん来てくださり、100名ほどの弔問がありました。そんな忙しい状況を当日会場で目の当たりにしていたにも関わらず、自分の手術のことしか頭になかった叔母。やはりこれは【軽度認知障害】だったのでは?と。

状況などを判断する見当識障害を発生していたと思います。

術後に視力が回復しないと病院にクレーム

叔母の手術後も、私と母は妹の亡き後の残務処理に追われる日々を送っていました。突然の記憶障害から意識不明に陥ってしまったので、大事なことが色々聞けないまま亡くなってしまいました。

記憶障害の進行する中、妹が走り書きで残してくれたメモから、キャッシュカードの暗証番号やネットのパスワードを探すような状態で、それと並行して役所などの手続きに母と回る日々を送っていました。

その様な時にも、ひとりで白内障手術をしてきた叔母は「まだ見えるようにならない」「高いレンズなのに見えない」と母には毎晩LINEがありました。先生からは「個人差があるから、見えるようになるまで時間がかかる人もいます」と言われていたようです。しかし、叔母はそれを納得できないようで「何でこんな手術をする羽目になったんだ」や「手術しなければよかった」と言い始め、「30万のレンズが悪い」、「手術しない方がよく見えた」とまで言うようになりました。

「待ってくれたら一緒に説明を聞きに行くから」と言ったのに、私たちの言うことも聞かずに、勝手にひとりで手術してしまったのですから、どうすることも出来ません。しばらく、様子をみることにしました。

白内障の術後、2ヶ月を過ぎる頃には、叔母は毎日のように手術をした病院に長々電話をかけているようでした。「今日も文句の電話をしてやった」と言い、診察の日には「見えないと行ってきてやった!」と言っていました。多分病院では【クレーマー扱い】されていたのではないか?と思われます💦

しかし、「まだ見えない」とずっと文句を言い続けていた叔母でしたが、金融機関などで私も同席して手続きする際、申し込み用紙に必要事項を記入する時に叔母は、眼鏡なしで自分で項目欄を見て、間違わずに書いていました。小さな文字も(フリガナなどの)ちゃんと読めていたのです。横で見ていた私が読み上げなくとも、叔母はひとりで用紙の記入欄に正しく書けていました。

また自宅でも、多少の見えにくさはあるようでしたが、眼鏡をかけずに郵便物や新聞も読んでいましたし、スーパーの折込広告を見て、「明日はこの特売品を買いに行かなくては!」と買い物にも行けていました。服薬の際にも病院から貰った薬袋の文字も読め、エアコンのリモコンもスマホの文字も読めていたのです。

私が訪問して日中の生活を横で静かに見ている限りでは、眼鏡なしで、普段通り支障なく全て出来ているようでした。私からすれば【これは白内障手術は成功してるのでは?】と思えるような状況でした。しかし叔母はその後も「見えない」と言い続けていました。

このことから叔母の言う「見えない」は、意識が集中できず、見えているのだが、その内容を理解できなかったからではないか?と思うようになりました。文章自体は見えているが、その文章の意味が解らないことを「見えない」と言っているのでは?と思うようになりました。

この【自分の今の状態を詳しく説明できなくなっていた】ことも、軽度認知障害だったのでは?と考えます。どんな風に見えていないかを、自分以外の人に言葉で適切に伝えることが出来なくなってきていたのでした。

クレーム続きで自分から転院を申し出る

手術をして8ヶ月後、叔母が「あっちの病院に変える」と言い始めました。手術後、半年を経過しても「見えない」と言い続けていた叔母ですが、日常生活に特に支障なく、ひとりで暮らせていたので、私も母もだんだんと「また始まった」という感覚になってきていました。

自宅での生活でもケガなどせずに毎日調理もできていましたし、買い物や病院にも、ひとりで車や自転車に乗って行っていました。カラオケサークルに参加した際にも、ちゃんとモニターに映る歌詞を読んで唄えているとのことだったので、以降も私は眼科の病院にはついて行かず、叔母ひとりで行かせていました。(当時私はフルタイムパートを続けながら、独居になった母のフォローに通っていて、叔母にまで手が回りませんでした)

すると「向かいのMちゃんが病院について行ってくれたが、先生と2人で話してから、私のことをぼけ老人扱いする」と言うのです。

(このMさんは、車の購入事件でもトラブルを起こした人です)

「あの病院に文句を言っても、らちが明かないから、もう病院も変える!」と叔母は怒っていました。

よくよく話を聞くと、叔母には車の事件以降、私からMさんとの付き合いは控えるように言われていたので黙っていたが、2人でちょくちょく食事に行っていた様です。その時にMさんに白内障手術の経過のことを話すと、Mさんが「私が娘のふりをしてついて行ってあげる」と言い、眼科に一緒に行ってくれたそうです。

しかし、それまでに何度も何度も病院に文句を言い続けていた叔母ですから(たぶんクレーマー扱い)、先生にMさんだけが診察室に呼ばれ、何か話があったそうです。病院からの帰りにMさんから「これから何かあれば、病院から私に連絡が入るから、おばちゃんは病院に電話したり行ったりしないで」と言われたそうです。

そう言われてから「次の予約が取れない」となった叔母はMさんに「何日に行ったらいいか聞いて欲しい」と頼みますが、一向に連絡が貰えず、次第に何度もMさんに尋ねるようになり「何回も同じことばっかり言わなくても解ってる!待っててと言ってるやろ」「しつこい!待ってて」と言われ邪険に扱われ出したそうです。

その結果「あの病院やMちゃんは私をぼけ老人扱いするから、もう病院を変える!自分で紹介状くださいと言ってきた!もう他人はあてにしない!」となったのでした。

私が推測するに、好意から眼科について行ってくれたMさんでしたが、あまりの叔母のクレーマーぶりに、病院から家族へとして文句を言われたんだと思います。申し訳ないが、Mさん自身にも色々下心はあったんだと思います。(車の無断契約以降も、ちょくちょく問題行動があるので)なので今回も何か思惑があり首を突っ込んではみたが、叔母からは聞いていなかった病院間のやりとりを初めて知ることとなり、叔母の白内障手術トラブルに巻き込まれてしまったようです。(まあ、自業自得ということでしょう…)

しかし私や母としては、この一件でMさんと叔母との付き合いに距離ができたことを、少しほっとしていました。

結局、叔母はそのトラブルを起こした眼科から紹介状を貰ってきて「もうあのヤブ医者には2度と行かない!」となり、診療終了となりました。

その後、私は「新しい病院には、仕事休みを調整してついて行くから、予約するのを少し待って」と叔母に伝えたのですが(自分の足の手術や妹の介護と葬儀で有休を60日ほど使っていたので)やはり叔母は「そんなに待ってられない!ひとりで行ける」と、また勝手に予約を取って、ひとりで行ってしまいました。

【とにかく人の話を聞かない、いうことを聞かない】という状態なのです。自分ひとりで大丈夫!と豪語する叔母です。仕方なく、眼科については(見えてるうちは)今後もひとりで行ってもらうことにしましたが…。これはまさに、認知症予備軍である【軽度認知障害】だなと思いました。